それから

ちょいと読んでかない?30代、心に響く本や音楽、その他のコト

瑛人のアルバム「すっからかん」を聴いたら凄かった

2021年最初に聴いたアルバムは瑛人の「すっからかん」でした。年末の歌番組で彼が「香水」を歌う姿を見て、歌詞にあるようにまさに「今更」なぜか興味を持った流れでアルバムをダウンロード。聴いてみると彼のそのストーリーテラーっぷりに驚いてしまったのです。


「香水」を聴いていた時から引っかかっていたのだけど、彼の書く歌詞というのは歌詞というより物語に近いなと思わせる何かがある。こういう人物がいて、こういうできごとがあって、こういう感情の流れがあって、今こういう状態になっている、みたいな一連の時の流れがあるというか。そういうのって他のミュージシャンの歌詞でも散見される手法だと思うんだけど、この人ほど自然にいってる感じがしないというか(鳴呼語彙力)。しかも瑛人の場合、物語を紡ぐという具体的なことをやってのけながらも行間を読ませるということまでできている!


例えば大ヒットした「香水」の場合、「僕」が“クズ”になった理由は「君」と何かしら関連しているんだろうなと思わせつつも、本当のところはわからない。あくまで「そうなんだろうな」とこちら側に想像させるところまでにとどまらせて、だけど「ドルチェ&ガッバーナ」という固有名詞を出すことで物語は立体的になっている。天才か。たぶん天才や。


さらにTrack.3の「ハッピーになれよ」という曲では、アル中らしき父親に家庭内暴力を振るわれている母親&三兄弟が家を出ていく様をおよそ似つかわしくない明るいレゲエ調で歌い上げるという荒技を披露(超褒めてる)。三人兄弟の家を出ていく際の反応がそれぞれ違ってまさに小説的。そして家を出ていった2年後に三男が一人で父親の元を訪れるシーンがさらに哀愁と余韻が半端なく小説的。直木賞作家の短編小説にあってもおかしくないクオリティ。


その他、Track.1の「僕はバカ」では、アパートの隣人の女の子に恋してる男の子の心情がギリギリ気持ち悪くないところを踏みとどまって描かれていて、何とも言えず気持ちがざわつくし、Track.6の「リットン」では途中で「あなた」が祖母(もしくは祖父?)だとわかる構成が巧みで不意をつかれて泣きそうになった。


「香水」があまりにも大ヒットしたから一発屋になるんじゃないかと思われがちな人だけど(ていうか一発当てるだけですごいんだが)、この人はたぶん天才なんじゃないかと思っている。「すっからかん」、しばらく繰り返し聴くことになりそうだ。

オンライン帰省ーー平面の父と「その時」

とにかく正月休みでやることがないので、せっかくはてなブログPROにして毎年お金を払っているんだし、ブログを連続投稿してみる。だからといって急に面白いことが書けるわけではないんだけれど、別にそれは良くて、今はブログを書くという行為そのものに意味があるのだから良いのだ。


今日は「オンライン帰省」なるものをした。昨年のゴールデンウィークに続きこれで二度目。父とSkypeを繋いで1時間くらい喋る。中身は前回と大体同じ。父による現在の日本および世界の政治情勢の解説になる。今回はバイデンとトランプの違いと、父が思う菅首相の行動規範について。オンライン帰省で父と娘が話す事柄か? まあいい。父が生き生きとしているしこちらも勉強になることが多いので単純に面白い。


Mac Book Air 11 inchの中に収まった平面の68歳の父は、多少白髪が増えてはいるけれどまだまだ元気そうで、最近は長年嗜んでいた煙草もやめたそうだ。ただ、もし突然父に何かがあってこの世から去ってしまった時には、私が見た父の最後の姿はこの平面の父なのだなあ、とぼんやりと思った。
母に至っては脚が悪く、Wi-Fiが飛んでいる二階まで登ってこれないとかでPCの前にすら現れなかった。だから電話の声しか聞いていない。はしゃぎながら最近のお笑いではぺこぱとEXITが好きだとか言っていたけれど。


親が年老いてくると、そしてこうして1000kmほど遠く離れて暮らしていると、「その時」のことをどうしたって考えてしまう。時々、いつでも短時間で駆けつけられる距離で家庭を築いた姉を羨ましく思う時がある。故郷を離れる選択をしたのは自分自身だというのに。そして、父母の住むあの土地では絶対に暮らしてなどいけないと私自身が一番わかっているのに。


元旦からなんだか湿っぽい文章を書いてしまったけれど、大人になるとはこういうことなのだろう。平面の父が「バイバイまたね」と笑いながら両手を振る姿を見ながら、これが最後にならないように、と私はいつも願っている。

コロナ禍に独りでいるということ

年が明けました。2021年。2020年はとにかくコロナウイルスに支配された年だったわけだけど、幸いにも私自身は罹患することもなく、金銭的にも困窮することなく(むしろ基本給もボーナスも上がった)、辛かったのは慣れないリモートワークで狭い一人暮らしの部屋に閉じ込められたせいか鬱に拍車がかかったことくらいで、下半期は段々それも回復していった。リモートワークのおかげなのか無駄なお金を使わなくなったことで貯金も増えていったし。だから自分はものすごく恵まれている方なのだと思う。


世の中には、実際にコロナウイルスに感染してしまった人や、コロナウイルスによって職を失った人、給料が減額されてしまったしまった人などがたくさんいるわけで。そう考えると自分がこのウイルスから受けている影響など本当に小さなものだ。とはいえ価値観みたいなものには少なからず影響を与えたように思う。


「誰かと自由に会えない」ということは家族を持たない自分にとってはそれなりに孤独を強く感じさせるできごとだったし、改めて結婚してパートナーがいる人を羨ましく感じた。大袈裟じゃなく、もしコロナウイルスに感染したら孤独死も覚悟しなくてはならない状況だからだ(今だってその危険性は続いている)。遠く離れた土地に住む両親に会いにいけない寂しさも相まって、自分は改めて「独り」なのだと痛感した。


紅白歌合戦福山雅治が「家族になろうよ」という歌を歌っていて、私はこの歌があまり好きじゃないなと思ったのだけど(ステレオタイプな父母像に、子どもを作る前提の歌詞がその理由)、その一方で、家族が欲しいという自分もいて、なんだかよくわからない心持ちになった。
さらに言うなら、「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」を最近見たのだけど、「結婚だけが女の幸せではない」と言わんばかりのジョーにも完全には共感出来ず。自分の気持ち迷子状態。


結局のところ、家族とかパートナーが欲しいとかっていうよりも、臭い言い方をするのであれば、愛し愛される関係の誰かが欲しいということなのだと思うのだけど、2021年にそんな人を見つけられるのだろうか。1月1日の午前3時からそんなことを考えているあたり、なかなか根は深いのだった。